人生2周めのつもりで

これまで後悔の連続の人生でした。だから今から人生が2周目のつもりで生きていきます。

【お題】これまで生きてきて「死ぬかと思った」瞬間

お題「これまで生きてきて「死ぬかと思った」瞬間はありますか?身体的なものでも精神的なものでも」

 

 

マイクロバスを借りてスキー旅行へ、その先で起きたまさかの出来事

  

f:id:dkdgnbr79hero:20190215222711j:plain

乗員全員を震撼させた出来事がまもなく起きる

 

これは昭和59年の話になります。

 

私の趣味は25歳の時にゴルフを始めるまでは、バイクとスキーでした。

 

とりわけスキーについては入社した会社の先輩がハマっていて、入社した年の冬から本格的に始めることになったのです。

 

そんなスキーにまつわる、今思い出しても背筋が寒くなる体験を私はしています。

 

前述の先輩をリーダーとした会社、友人、その他大勢の一行は、大型のマイクロバスを借りて、二泊三日で新潟県石打丸山スキー場へ旅行へ行こうとしていました。

 

 

f:id:dkdgnbr79hero:20200310230437j:plain

 

出発前に不穏な空気が流れます。

 

関越自動車道の前橋インター下車後に国道17号線を走り、三国峠を越えてスキー場へ行くのが本来のルートなのですが、三国峠が何らかの理由で通行止めになっているとの情報が入ったのです。

 

となると、スキー場へは大きく迂回したルートを走らなけばならない。

 

今となってはどんな迂回ルートを走ったのか記憶がありませんが、関越自動車道を降りた所までは順調だったのです。

 

2人のドライバーを信頼し、私は車中で仮眠をとっておりました。

 

外が少し明るくなってきた早朝のことです。

 

車の後方から金属を叩く音がし、車中が騒がしくなりました。

 

『クルマを止めろ!』

 

このあとその先で、とんでもないまさかの出来事が起きたのでした。

 

マイクロバスのタイヤチェーンが切れた!

 

なんてこった。。

 

金属音は雪道で命綱になるタイヤチェーンの片側が切れたことによりマイクロバスの車体の内側に当たっている音でした。。

 

雪深い峠を走行中のこと、これは大問題です。

 

蓄積した金属疲労からチェーンは切れたと思われました。

 

(当時スタッドレスタイヤの普及はまだまだ、ましてやマイクロバスですから。亀甲型と呼ばれた金属チェーンをレンタル時に借りたようです。)

 

 

f:id:dkdgnbr79hero:20200310230408j:plain

 

直ぐに切れたチェーンを取り外し、運転経験が長い先輩にドライバー交代しました。

 

普通車と違いマイクロバスは重量があるし、乗員も25名ほどいたので、ゆっくり走れば何とかいけるだろうという予測でした。

 

新潟県の山中でスキーバス転落し乗員25人全員死亡?

 

ところがです、交代して走り出した直後に事件が起きました。

 

明らかにタイヤの空転する音がしたと思ったら、車体が大きく蛇行したのです!

 

「キャー」

 

数名いた女性の悲鳴が車中に響き、車体は反対車線を越えた先の右斜面の石壁にまずぶつかって、今度は反動で自車線に戻り左斜面の石壁に左前部をこすりつけて停車しました。

 

皆がクルマから降りて現場を確認しました。

 

『危なかった。。』

 

対向車が来なかったことも幸いしましたが、それより救われたのは、

最初にぶつかった右斜面の石壁の数メートル先はガードレールしかなく、向こう側が谷底だったのです。

 

あと数メートル先にずれていたら、重心の高いバスはガードレールを軽々と飛び越え谷底に転落していたと思います。

 

当日の新聞には『新潟県の山中でスキーバス転落、乗員25人全員死亡』と書かれたハズ。

 

まじで命拾いしたとはこのことでした。

 

俺たちチキチキマシン猛レースのギャングセブンか!

 

車体のランプ類が多少割れましたが走行には支障なく、気を取り直して再出発をしました。

 

この頃はまだ携帯電話なんか無かったですし、公衆電話がある場所でも無かったので、早朝にこんな山中にクルマを置いていくわけにもいかず、自走して下山するしか選択肢はなかったのです。

 

車中は先輩の指揮のもと、妙な一体感が生まれていました。

 

具体的には、このバスが下り道を走行中は対向車のドライバーに対し、このバスはチェーンをはめていないのでふらつく恐れがある、だからなるだけ離れて走ってくれと知らせるために、窓を全開にして声を張り上げ、ジェスチャーでも合図しました。

 

対向車線を走るクルマのドライバーさんの顔をみると相当ひいてましたね、そりゃそうでしょ、野郎どもが窓全開で大声張り上げ、近づくな!!!!!!llllって叫んでるんですから。

 

爆弾をもった犯人にバスジャックされてます、みたいな。。

 

逆に、バスが上り道ではタイヤが空転して坂を上がらないことがあったので、先輩の『野郎ども押せ!』の掛け声がかかると、野郎どもは外へ出て後ろから車体を押して、自力で走れるようになったら走っているバスの開いたスライドドアから飛び乗るを繰り返しました。

 

それはまるでガキの頃見ていたアニメ、『チキチキマシン猛レース』のギャングセブンのようでした。(50代ー60代の人は絶対観てたと思います。)

 

f:id:dkdgnbr79hero:20200310221152j:plain

ギャングセブンは、いざという時には車中の底が抜けて、子分7人の足で走った

 

ギャングセブンの車はエンジンではなく、ギャングの子分の人力によって走っていたから。

 

そんなことを何度となく繰り返し、宿に着いたのは夜でした。

 

出発から17時間位経っていました。

 

同乗していた他の24人は、今でもあの日のことを覚えているのだろうか。。。

 

これが私の、【これまで生きてきて「死ぬかと思った」瞬間】にまつわるお話でした。

 

《これが昭和だ!》

 

・雪道にスタッドレスタイヤがまだなかった時代。

 

雪道に遭遇したら路肩にクルマを寄せて、かじかむ手でタイヤにチェーンを巻くのがスキーヤーのセレモニーでした。

これが昭和だ!

 

でもタイヤチェーンが切れるなんて、後にも先にもあの時限り、生きててよかった。

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村