昭和レトロシリーズ第2弾 下戸には辛かった飲み会の席
パソコンもスマホもなかったけれど、緩くて自由で熱かった昭和
前々回の東京オリンピックイヤーに生誕したカーペンターyuzoは【懐かしの昭和】が大好きでした。
まだパソコンもスマホもなかったけれど、すべてが緩くて自由で熱かった時代ー昭和。
【昭和57年ー暫くの間】
下戸には辛かった飲み会の席
社会人になるとお酒の席に出る機会が出てきました。
お酒殆ど飲めなかったのに。。
苦痛でしかなかったですね。
現代みたいに、何か都合をつけては飲み会に出ないことが許されない時代でした。
飲み会より優先される行事はないと位置づけられていた時代。
そもそもまだ18歳だったんですけどぉ~。
なんの遠慮もなく普通に飲まされた。
私は年齢よりかなり若く見られていたので、現代だったら「18歳未満にお酒の提供はお断り!!」と、きっと問題になったと思います。
新人歓迎会でゲロゲロ祭り
最初の洗礼が新人歓迎会でした。
私を含めた新人の3人が主役だから当然飲まされました。
次から次と酌しに来るんです、来なくていいのに。。
勝手に飲んでますからって言いたかったけど、そんなこと言ったら大変だから。。
整備の先輩だけで14人もいるから、開始早々に心臓がバクバクなってきました。
後半になるにつけ、一口飲むのがもうやっとでした。
が、体育会系の先輩達は私がコップの中のビールを飲み干すまで対面に座り続け、持ったビール瓶を降ろさないのです。
これが超プレッシャー。
多分それまでの人生の中で最大のビール量を体内に流し込んだことで、ゲロをトイレまで我慢出来ず、お店の2階席から下の歩道に向けてゲロゲロしてしまいました。
お店の慰安旅行がまた辛い、なぜなら帰れないから
年に1度のお店の慰安旅行も辛かったですね。
なぜなら家に帰らないから。
逃げ場がない。
誰が考えたのか、ビールストロー飲み競争というのがあって、文字通り、ストローでビールを早く飲んだ者が勝ちという競争なのですが、ストローで飲むと余計に酔いが回るんですよ。
その時もゲロゲロ祭りでした。
こんな憂鬱な飲み会はその後 何年間も続き、ようやくお酌をされなくなったのは社内で( 店舗内で) 管理職についた頃でしょうか。
現代は、飲み会の日に用事があることにしなくても、「そういう会には出ません。」とハッキリ言える風潮があるらしいですね。
下戸の人にはいい時代になったものです。
私は自分が管理職になっても、自分がされて嫌だったことを部下にはしたくなかったので、飲めない子に酌はしなかったです。
《これが昭和だ!》
・飲み会は絶対参加、欠席は許されない、18歳でも普通に飲まされる、これが昭和。
・酌しにくる先輩方は、私のコップの中のビールが飲み干されるまで席を移動してくれない。
ビールが無くなるまで持ったビール瓶を降ろさないでプレッシャーをかけまくる、これが昭和。
・パワーハラスメントなる言葉はかけらもない、これが昭和。