昭和レトロシリーズ第7弾 2輪の免許の限定解除試験を開始
昭和60年夏。
初めて行った北海道ツーリングで、ボクはナナハンとの差を思い知らされ、自身の2輪免許証の限定解除をすることを誓いました。
当時は、試験場での一発勝負のみでした。
その時の苦労話を紹介します。(1996年9月の法改正により、現在は教習場で取得出来るようになったようですね。)
パソコンもスマホもなかったけれど、緩くて自由で熱かった昭和
前々回の東京オリンピックイヤーに生誕したやもめパパは【懐かしの昭和】が大好きでした。
まだパソコンもスマホもなかったけれど、すべてが緩くて
自由で熱かった時代ー昭和。
【昭和60年】遊び編
2輪免許の限定解除に挑戦開始するも事前審査でつまづく
2輪免許の限定解除をするためには、2つの試験をパスしなくてはなりませんでした。
まずは事前試験があり、その後に本試験に進むというものです。
挑戦開始は事前審査からでした。
ですが、ここで予想外の出来事がボクを待っていました。
審査は2種類あり、倒れたバイクを引き起こすというものと、センタースタンドを立てるというものでした。
倒れたバイクの引き起こしについては、実体験はそう多くはなかったですけど、苦もなく引き起こすことが出来ました。
が、問題はセンタースタンド立て。
こちらの方が引き起こしよりは遥かに多く日常的に行っていた動作なのに、試験車はビクともせず、あっさり不合格となってしまいました。
日をあらためて2回めの事前審査挑戦。
今度は前回のように玉砕とはいかねぇぜと、気合十分で所定の位置に手と足をかけて一気にいこうと思ったが。。
ダメだ、上がらねぇ。
力じゃないんです、、
普通なら途中から テコの原理が働いて、立つハズのセンタースタンドなのですが、2回目もビクともしなかったのです。
もう次はないと思って猛省をしました。
ボクは体は決して大きい方ではありませんでしたが、普通の体力はあるつもりでした。
あの試験車には普通のやり方は通用しない、ならば頭脳作戦で
2回も事前審査に落とされて悔しく悔しくて、事前審査を軽くみていた事を猛省し、先人や同じ時期に挑戦していた仲間と情報を共有しました。
「あの試験車の燃料タンクには重量を重くするための砂が詰めてある」
「あの試験車のセンタースタンドは テコの原理がつかえないよう加工されている」
こんな噂話が冗談とは思えない位、手ごわいセンタースタンドでした。
そこで3回目は力任せではなく、頭脳作戦を挑むことにしました。
具体的にはこうです。
通常はバイクの向いている方向と垂直に立ち、右足も垂直に向けてセンタースタンドの足かけ場所に足底を乗せて、えいやっ!って足底にパワーを集中させますが、それでは試験車のセンタースタンドは立てられない。
そこで考えたやり方は、バイクの向いている方向と平行に立ち、右足も平行に向けてセンタースタンドの足掛け場所に足底を乗せるというもの。
さらに、お尻の右側半分を後ろのコイルスプリング(サスペンション)に押し当てて、右足底に力を入れると同時にお尻でもバイクを後方に押し動かすというものでした。
この一連の動作は、仲間のZ400FX(当時の400㏄では最重量車でした。)に仲間を後ろに載せた状態で繰り返し練習しました。
そして本番の日を迎えます、3度目の正直を信じて。
3度めの正直なる
もう次はないと思って反復練習を積んで望んだ3回目の事前審査。
練習したとおりにカラダを試験車に密着させて、一気に後方へパワーを開放してやりました。
やった!3度めの正直。苦も無くセンタースタンドは立ちました。
3回目で事前審査にパスとはお粗末でしたね、、
次回は本試験を振り返ります。