昭和レトロシリーズ第10弾 初めて手にしてナナハンのその後
前回はバイクの自動2輪限定解除後にスズキのイントルーダーのカタログキャッチコピーに心が踊って衝動的にナナハンを買い、なんと初走りで転倒をやらかし、ナナハンの持つ圧倒的なパワーに背筋が寒くなったところまでを話しました。
その後ですが、衝動買いしたこともあって、この年の秋にはもう乗り換えていました。
今日はその辺の事を話します。
前回の東京オリンピックイヤーに生誕したやもめパパは【懐かしの昭和】が大好きでした。
まだパソコンもスマホもなかったけれど、すべてが緩くて自由で熱かった時代ー昭和。
【昭和61年】遊び編
初めて手にしたナナハン
初めて手にしたナナハンの初走りで転倒した私は、少しは学習し慎重に走るようになりました。
エンジンパワーがあるだけでなく、これまでのバイクとは勝手が違うことがよくわかってきたから。
・カーブ走行中や右左折で車体が傾いている時はアクセルを開けすぎないこと。
・車体が真っ直ぐな状態でもフル加速はしないこと。(一度やってみたらフロントタイヤが暴れて暴れて超怖かった。)
・ブレーキが頼りないから注意すること。
上記のことを学習し、春には茨城県の袋田の滝へ、GWには信州へツーリングへ出掛けました。
そしてまた訪れた夏。
夏休みを利用して再び北海道に行きたいという思いが募り、今度はバイクがバイクだし、1人で北海道を走ってみようと思い決行しました。
長い期間のソロツーリングはこのときが初めて、北海道の大地をのんびり走って楽しい思い出ができました。
そう、自分のペースでのんびり走ると気持ちがいいバイクなのです。
のんびり走れば。。
ですが、その後の初秋に参加したバイク屋主催のツーリングで一気に嫌になる出来事が起きてしまったのです。
大勢のツーリングに参加したことがきっかけでその後売却
初秋にバイク屋主催の大勢の中でのツーリングに参加したのですが、そこでこのバイクの弱い面がいくつも露呈しました。
一泊で信州蓼科へツーリングに行ったのですが、皆飛ばすんですよ。
参加車はカワサキZ1100R、GPZ900R(ニンジャ改で実は1000CC)、スズキRG400ガンマ等々。
高速道路に乗るまではなんとかついていったものの、中央高速道に入るとあっという間に追いて行かれました。
事前に決めてあった休憩地点に遅れてやっと着くと、私はいくらも休憩をとれないうちにまた走り出すことを余儀なくされます。
それだけならよかったのですが、
大きなSAに着いた時はリヤタイヤのパンクが発覚しました。
修理のプロのバイク屋の社長も帯同していましたから、その場でパンク修理をいただき短時間で復帰することができましたが、社長が帯同していなかったらと考えたらゾッとしました。
参加した人達のバイクは皆チューブレスタイヤで、走行中に異物を拾っても外から楽に修理が出来ます。
かたや私のバイクはタイヤの中にチューブが入っているので、パンクしたらタイヤの中からチューブを引張り出して修理が必要なんです。
北海道のソロツーリング時にはパンク修理キットを持参してはいましたが、それを使う場面に遭遇しなくて本当に良かったと思っています。
パンク修理完了後は社長と他1-2名が遅い私のペースに合わせるように一緒に走ってくれました。
ありがたかったです。
ですが、やがて中央高速道を降り峠道に入るとその人達からも遅れ気味になりました。
それでもまだ上り道はイイのですが、下り道はブレーキが弱いのでエンジンブレーキを多用したり、乗車姿勢の観点からも非常に疲れました。
トドメになったのは、そのツーリングを終えてバイクを整備していた時にフロントブレーキのパッドがもう交換時期にきていることに気が付いたことでした。
驚くほど早く減りましたね、後にも先にもそんな経験は初めてです。
そんなこんなで乗り続けることに嫌気がさしてしまったボクは1年も所有せずに売却してしまったのでした。(つづく)